大学4年の秋、ひとりでヨーロッパを旅しました。
いわゆるバックパッカー旅。当時F1を夢中で追いかけていた僕は、最終目的地をフェラーリの本拠地であるイタリアのマラネロとだけ決めて、オランダのアムステルダムをスタート地点に、気ままに旅をしていました。
その日その場の流れに任せるようなちょっと無謀で自由な旅。日が暮れる前に次の宿を探し、明日はどこへ行くか、何を食べるかをその場で決めていく日々でした。
一番大変だったのは、毎日が「決断」の連続だったことです。
行き先も、移動手段も、泊まる場所も、全部自分で決めないといけない。誰かが代わりに選んでくれることなんて一つもない。そういう憧れていた当たり前に、改めてぶつかっていく体験でした。

そして、旅先で出会った人たちの声が、僕の行動を大きく左右しました。
「スロベニアがよかったよ」
「クロアチアは絶対行ったほうがいい」
「モンテネグロの海は穴場らしいよ」
そう言われるたびに”地球の歩き方”を広げ、予算と時間とにらめっこ。
知らない土地のことを、誰かの“おすすめ”を頼りに決めるしかない。情報がなければ動けない。そんな心細さと、気軽さが入り混じった毎日でした。

でもある日、少しだけ、足が止まりました。
ヴェネチアの安宿で、たまたま同室になった「しんちゃん」という日本人がいました。
東京・御徒町でバリスタをしているという、同い年の青年でした。すでにいろんな国を訪れていて、旅先の楽しい話をつまみに、一緒にビールを飲みました。
「あの人が〇〇が良いって言ってたんだよね〜。」と僕が言うと、しんちゃんは少しだけ間を置いて、こう言いました。
「うーん……情報って、あんまり鵜呑みにしない方がいいよ。自分で考えないとねぇ。」
何気ないひと言だったけれど、図星というか、胸の奥をコツンと叩かれたような気がしました。
ああ、自分はずっと、誰かの答えを生きてきたのかもしれない。“旅してる”つもりが、ただ“乗っかって”いただけなのかもしれないなと。
それから、目的地だった「マラネロ」へ一気に南下することを決めて、現地で過ごす時間を長く取りました。
(結果、ミハエル・シューマッハの市民栄誉賞セレモニーにたまたま最後列で参列させてもらい、サインまでもらうという経験をしました。)

あれから十数年。
いま日本では、政権選択選挙と呼ばれる参議院選挙が近づいています。
誰が何を言っているか、どこが有利なのか——世の中は情報にあふれています。
そして僕たちは、気づかないうちに、また”どこかの誰かの答え”に引っ張られてしまいそうになります。
情報を聞いたうえで、最終的に「どう思うか」は自分次第です。

自分で選んで、自分で責任を持つ。その答えが正解かどうかなんて、誰にもわからないし、20年、30年先もまだ答えが出ていないかもしれない。
間違っていたっていい。それが自分で出した現時点で自己ベストの答えならば。
正解のない世界で、自分だけの答えを見つける。旅でも、人生でも、そして選挙でも。
その大切さを思うたびに、
「自分の目で、決めたほうがいいよ。」と言ったあのときのしんちゃんのひと言が頭をよぎるのです。
