最近、ちょっと言葉を失う出来事があった。
パートナーの前職時代の同僚でオーウェンという青年がいる。まだ20代前半。とても誠実で優しく、いわゆるちゃんとしてるタイプの若者だ。
以前、小麦を食べられない彼女のために「米粉でグルテンフリーのバゲットを焼きたい。」と聞かれたことがあった。僕が思いつく限りのアドバイスを伝えたけど、内心は「結構むずかしーだろうな。」と思っていたら、後日、見事に焼けた白いバゲットの写真を見せてくれた。(賢いオーウェン、僕のアドバイスは多分取り入れてない。笑)
そんな器用さも併せ持つオーウェンと、僕もいつか一緒に仕事できたらと密かに思っていた。
そんな彼が、通勤中に転んで腰の骨を折る大怪我を負ってしまったと。
患部には一生ボルトを入れたままになるそうで、しかも、半年間は絶対安静を保つようにと。あまりにも突然で、ショッキングなニュースだった。
こっちの人は、よく「Life is too short」(人生はあまりに短すぎる。)という言葉を使う。
「だから、今を楽しまないとね。」・・・と文脈は続くのだが、
このフレーズ、僕は以前は”明るく生きるための呪文”だと思っていた。でも、こういう出来事を前にすると、それがちょっと違う意味を持ってくる。
楽しめ、の前に―
「今、生きてることがどれだけ奇跡か」を知れ、って意味にも思えてくる。
毎日無駄な時間を過ごしていないか。
やりたいことを先延ばしにしていないか。
今やってるそのネットサーフィンは何の意味があるのか。
完璧じゃなくても、毎日トライしてるか・・・???
命を、鈍らせて生きていないか―と、問われているような気がした。
とりあえず今度焼いた食パンは、オーウェンのところに持っていこうと思う。少しでも喜んでくれたら、パン屋(未満)冥利に尽きる。