最近、「もし世界が不安定になったら、本当に強いのは誰だろう?」なんてことを、ふと考えることがあります。ロシアのウクライナ侵攻とか、イラク・イスラエル戦争とか、地中貫通爆弾とか、台湾有事、海峡封鎖、いきなり隣国からミサイル飛んできたり・・・すでに不安定なことはいろいろある。
SNSやAI、ビッグデータ、資産運用……そういう“情報とお金の世界”の住人たちは、確かに今の社会では輝いて見えるかもしれません。でも、食糧危機やら有事の際、世界のバランスがちょっと崩れたときに、本当に頼れるのは誰なのか?
僕の中で明確な答えがあります。
それは、「元気で健康な農家のおじちゃん」。
よく考えるとこの人たち、現代社会が失いつつある“すごい力”を全部持っている。
たとえば、自分で野菜やお米を作れるってだけで、もう食糧危機には強い。スーパーが閉まっても、米屋からコメが消えても、自分で何かしらのご飯がつくれる。
スマホがなくても、自然の変化を見て動ける。土の匂いや、雲の形、動物の様子から、ちゃんと「今日何するか」を決められる。
そしてなにより、体がめちゃくちゃ動く。重い物を運ぶのも、畑を耕すのも、朝から晩まで体を使って働いている。健康のためにジムに行ったりサプリを飲んだりしなくても、体は自然に鍛えられている。こんがり日焼けしてしかも、楽しそう。
それに、彼らはあまりお金に振り回されない暮らしをしています。何かを買わなくても、拾って使ったり、作ったり、誰かと分け合ったりできる。こういう“お金の外側”で生きる力は、これからどんどん重要になるはず。
つながりも、すごい。SNSのフォロワー数ではなく、近所の人と声をかけ合い、自分たちの”経済圏”の中でおすそ分けしたり、手伝いあったり。人間の原点みたいな「支え合い」が、自然に存在している。

未来は、テクノロジーが支配する世界かもしれないけど、同時に「食」「身体」「つながり」という原点が、また大事になってくるのだと思います。
僕は祖父と叔父が農家で、静岡の水がきれいな田舎で米・野菜を作っていて、子供の頃は当たり前に接していた農産物の価値がわかりませんでしたが、サワードウブレッドやカンパーニュのように時代の流れとともに再評価されるべき存在なのだと感じます。
だから今、バタバタと都市住民している僕らが「うわー、この人すごいな」って思うべき相手は、スーツを着たエリートでも、キラキラしたインフルエンサーでもなく、
「大根の葉っぱも捨てんでええぞ〜」と笑う、農家のおじちゃんかもしれません。
